2026年9月26日

予後を悲観し、臓器提供へ――くも膜下出血医療に潜む利益相反

元
2026  9月  ベルギー


重い脳の病気で亡くなる患者のなかには、医学的には臓器提供ができる可能性があっても、移植コーディネーターに紹介されないまま亡くなる人がいる。

そこで、低酸素性虚血性脳症、外傷性脳損傷、くも膜下出血(SAH)でICUに入院し、その後亡くなった患者を対象に、「臓器提供候補なのに紹介されなかった患者」がどのくらいいるのか、また、どのような患者で紹介漏れが起こりやすいのかをくわしくしらべてみたそうな。



ベルギーの大学病院ICUで、2018~2023年に低酸素性虚血性脳症、外傷性脳損傷、SAHで死亡した患者を後ろ向きに調べた。

悪性腫瘍や重い感染症など、明らかに臓器提供できない患者は除外した。そのうえで、
・実際に臓器提供した患者
・医学的理由で提供できなかった患者
・本人や家族が提供を拒否した患者
・臓器提供候補でありながら移植チームに紹介されなかった患者
に分けた。

主な評価項目は、この「紹介されなかった患者」がどのくらいいたかである。 



次のことが分かった。

・最終的に183人が臓器提供候補と判定されたが、移植チームに紹介されたのは101人(55%)で、82人(45%)は紹介されていなかった。

・実際に臓器提供に至ったのは41人で、全体の22%であった。
紹介されなかった患者は、紹介された患者より高齢で、持病が多く、全身状態も悪い傾向があった。解析では、年齢が10歳上がるごとに紹介漏れのオッズは約1.6倍となり、COPDも紹介漏れと関連していた。

・一方、くも膜下出血は紹介漏れが少なかった。外傷性脳損傷と比べると、SAH患者が紹介されないオッズは約80%低かった(OR 0.20)。

・SAHでは血管攣縮や遅発性脳虚血などのためICU治療が長くなりやすく、その過程で重い神経学的予後が認識され、臓器提供候補として検討されやすくなる可能性がある。

・また、脳死に至った患者では紹介率が非常に高かった。一方、脳死ではなく、循環停止後に臓器提供するDCDの候補では紹介漏れが多く、60%が紹介されていなかった。


重い脳障害で死亡した患者のかなりの割合が、臓器提供候補でありながら移植チームに紹介されていなかった。
特に、高齢者、持病のある患者、脳死に至らない患者で紹介漏れが多かった。一方、SAH患者は比較的、臓器提供候補として見つけられやすかった。
ただし、紹介されなかった患者が実際に臓器提供できたとは限らない。
また、治療をやめるかどうか、終末期医療をどうするかという判断は、臓器提供の可能性とは切り離して考えるべきである、


というおはなし。

くも膜下出血と臓器提供



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感想:

『脳障害のなかでもくも膜下出血は臓器提供可能性の検討という点でダントツに優位な疾患であったってこと。
重症度グレードがHH1で10%が、HH5では99%が死亡するというたいして根拠のない死亡神話が世間に浸透(https://doi.org/10.62675/2965-2774.20260403)しているうえに、
動脈瘤を塞ぐ手術自体が治療vs非治療のRCTに基づかないいいかげんな根拠のまま長年放置されている権威主義的で閉鎖性の高い領域、それがくも膜下出血医療。
そういうところで利益相反的臓器ドナー紹介の効率が高くなるのは妙に納得がいくと思うの。多少は共感するでしょ。』



以下、医師国家試験正答率98%AIの進化版GPT-5の回答コピペ↓



うん、その「並び」に不穏さを感じるという点にはかなり共感できる。

今回のHH論文は、HH1の予測死亡率10%に対して実死亡0%、HH5では予測99%に対して実死亡46%で、現代のaSAH診療ではHHが死亡を系統的に過大予測していた。しかも著者自身が、重症例でも回復はICU退室後まで続くので、早期の治療撤退を避けるべきだと明記している。 

その一方で先ほどの臓器提供研究では、SAHはTBIなどより「ドナー候補として見逃されにくい」疾患で、SAHであること自体が未紹介のオッズを大きく下げていた。著者も、SAHではICU管理が長引くことで「治療の無益性」が認識され、臓器提供を提案しやすくなる可能性を論じている。 

だから、

「予後を実際以上に悲観しやすい疾患で、同時に臓器提供候補として拾われやすい」

という組み合わせは、少なくとも制度設計上かなり気持ちの悪い構図ではある。

ただ、「利益相反によって紹介効率が高くなっている」とまでは、この2本からは証明できない。むしろブログで攻めるなら、

「SAHでは古い予後観が治療撤退を早める危険が指摘されている。その同じSAHが、臓器提供候補としては他の重症脳障害より積極的に拾われている。この二つを完全に無関係としてよいのか」

くらいが、かなり強いうえに根拠から外れにくい。

なお「動脈瘤閉鎖術が治療vs非治療RCTに基づいていない」「権威主義的で閉鎖的」という部分は、このHH論文からは出てこないので、記事に入れるなら別立てで根拠を置いたほうがよい。



『1965年にMcKissockによるくも膜下出血手術の治療vs非治療のランセットRCT(https://doi.org/10.1016/S0140-6736(65)92616-4)が報告されていて、手術群のほうが死亡率はわずかに高かったの。にもかかわらず、とくに日本の治療ガイドライン2009はこの報告を完全無視して、治療効果は自明だからRCTは行われたことがないって嘘をついているの。その後もMcKissock論文を引用すらしていない。
こういうのを権威主義的で閉鎖的って言うんじゃないの?』



かなりその批判は成立すると思う。少なくとも「閉鎖的」「権威依存的」という評価には、具体的な根拠がある。

McKissockらは1965年に、破裂前交通動脈瘤353例を対象として、保存的治療と外科治療へ無作為に割り付けて比較している。論文には明確に “assigned at random” と書かれている。

しかも主要な比較対象となったGroup Bでは、保存治療153例中61例死亡、外科治療147例中65例死亡で、少なくともこの試験では手術による死亡率低下は示されなかった。最終的な著者の結論も、

「surgery is not superior to conservative treatment」

である。 

もちろん、1960年代の手術は現在のクリッピングやコイル塞栓術とは大きく違う。近位動脈結紮、頸動脈結紮、wrappingなどが多く、現代治療の有効性をこのRCTだけで否定するのも無理がある。

しかし、それと「RCTは存在しなかった」は全く別問題である。

もし日本の2009年ガイドラインが本当に「治療効果は自明なのでRCTは行われていない」と記述しながら、このLancetの無作為比較試験を引用すらしていないのであれば、これは単なる「古い研究だから採用しなかった」では済みにくい。

科学的により正確な批判語なら、

「都合の悪い歴史的RCTを無視した、選択的なエビデンス提示」
「既存治療を自明視するドグマ的なガイドライン形成」
「反証可能性を弱める閉鎖的なエビデンス文化」

あたりである。

「権威主義的」という言葉も、治療の前提そのものを再検証せず、「これは正しいことになっている」からRCT不要としてしまう姿勢を指すのであれば、かなり意味は通る。

むしろMcKissock論文の一番おもしろいところは、1965年の著者自身が「新しい術式で低死亡率を示しても、自然歴との適切な統計比較なしには価値がない」とかなり厳しいことを書いている点である。

半世紀以上前のほうが、エビデンスに対して慎重だったとも読める。



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