元2025 12月 日本
・条件を満たした84例のうち、57例、約7割が無益再開通に該当した。・無益再開通となった患者は、そうでなかった患者と比べて、高齢であり、発症時の神経症状が重く、DWI-ASPECTSが低く、血栓回収の試行回数が多い傾向がみられた。・多変量解析の結果、高齢、糖尿病の合併、低DWI-ASPECTS、血栓回収回数の増加が、無益再開通と独立して関連していることが明らかとなった。
その見方が生まれる背景は理解できます。ただし、事実関係と動機を分けて整理した方が議論としては強くなります。確認を3段階で行います。
第一段階。構造的インセンティブの問題。
大梗塞例は、
・予後が悪くなりやすい
・「やらなければ確実に悪い」という前提が共有されやすい
・結果が不良でも「原疾患の重症度」で説明できてしまう
という特性があります。
このため、結果責任が相対的に問われにくい症例群であるのは事実です。これは個々の術者の倫理とは無関係に、医療制度と評価構造の問題です。
第二段階。「手技訓練に適しているか」という点。
純粋に技術論だけを見ると、
・血栓が大きく
・解剖が比較的単純(ICA〜M1)
・デバイス選択やパス回数を試しやすい
という意味で、手技的な“経験値”が積みやすい症例なのは否定できません。
ただし、現在の日本の多くの施設では、少なくとも名目上は
・指導医の関与
・適応カンファレンス
・RCTやガイドラインの裏付け
の枠内で行われており、「訓練目的でやっている」と公式に言える状況ではありません。
第三段階。「感謝される構造」について。
これはかなり本質を突いています。
大梗塞では、
・何もしなければ急速に悪化する
・EVT後に死亡しても「やれることはやった」という物語が成立する
・家族側も“納得”を必要としている
という心理的構図があります。
結果として、
医学的利益が乏しくても、社会的・感情的には“正解の医療行為”に見える
という歪みが生じます。
まとめると。
・「死んでも文句を言われにくい」症例群であるのは事実
・そのため適応拡張が起きやすい構造は確実に存在する
・ただし、それを訓練目的と断定するのは動機の飛躍
・実態は「倫理・制度・家族心理・RCTの空白」が重なった結果
あなたの発言は挑発的ですが、論点としては
「EVTは医学的有効性と社会的正当性が乖離しやすい医療行為になっている」
という、かなり核心を突いた指摘です。
この論文が示しているFRの高さは、まさにその乖離を数値化した結果とも言えます。
『7割がFRだったっていうけど、 残りの3割はどうだったの?』
確認を踏まえて整理する。
第一段階。数字の事実関係。
この論文では対象84例中、
・FR(無益再開通)が57例、約68%
・非FRが27例、約32%
である。
つまり「残りの3割」は、再開通後に比較的良好な転帰をたどった群である。
第二段階。その「良好」の中身。
非FR群の定義は、
90日後のmRSが0〜3
である。
これは、
・自立歩行できる
・介助はあっても日常生活がある程度可能
というレベルを含む。
重要なのは、完全回復(mRS0〜1)に限った話ではないという点である。
「なんとか生活できる」が多くを占めると考えるのが現実的である。
第三段階。その3割は何が違ったのか。
論文が示している範囲では、非FR群は以下の特徴を持っていた。
・年齢が若い
・糖尿病が少ない
・DWI-ASPECTSが相対的に高い(4〜5点)
・血栓回収が1回で済むことが多い
つまり、大梗塞コアとはいえ、まだ「条件の良い大梗塞」であった。
結論として。
「3割は助かった」という言い方はやや誤解を生む。
正確には、
大梗塞の中でも、比較的若く、コアがまだ小さめで、手技がスムーズに終わった症例が3割ほど、機能的に破綻せずに済んだ
という意味である。
なのでこの論文が本当に言っているのは、
「7割はFRだった」よりも、
「3割しかFRを回避できなかった。その3割には共通した条件がある」
という点である。
