元2025 6月 カナダ
軽い脳卒中(mild stroke)は、ぱっと見では後遺症が少ないと思われがちである。でも、いざ普段の生活に戻ってみると「集中できない」「物忘れがひどい」「頭がぼんやりする」といった声が多く聞かれる。
こうした困りごとは、従来の“認知のテスト”ではうまく拾えていない可能性がある。そうした「感じている困りごと」と、ふだんの生活への参加(職場復帰など)の関係をくわしくしらべてみたそうな。
18〜64歳の軽い脳卒中を経験した57人(平均年齢52歳、男女ほぼ半々)を対象に、発症から約半年後(3〜13か月の範囲)に調査を行った。電話での簡単な認知テストと、オンラインの質問票を使って以下を確認した:
* 実際の認知力(記憶や集中力など)
* 自分で感じている認知の困りごと(例:頭がうまく働かない、いくつもの作業が苦手)
* 疲れやすさ、気分の落ち込み、不安、ストレス反応など
* 社会参加の程度(ふだんの生活や仕事への戻り方)
次のことが分かった。
・ テスト結果としては、全体的に平均的なスコアで、大きな問題は見られなかった。・ しかし、自分で「困っている」と感じている人は多く、* 「頭の回転が遅くなった」と感じている人:54%* 「物忘れが増えた」:51%* 「集中しづらい」:51%* 「同時に複数のことをこなせない」:47%・ テストの点数と、自分が感じている困りごとの間には関係がなかった。・ 社会参加とよく関係していたのは、* 自分で感じている認知の調子* 柔軟に考えを切り替える力(認知の柔軟性)* 不安、気分の落ち込み、ストレス反応、疲れやすさであった。
軽い脳卒中のあとには、「見た目にはわからないけれど、本人が感じている“脳の働きの不調”が、ふだんの生活に大きく影響している」ことがわかった。一方で、これまでのようなテストだけでは、その困りごとをうまく見つけられないことも多い。
だからこそ、リハビリでは「本人が感じている困りごと」にもっと目を向けた支援が必要である、
というおはなし。
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🎯なぜ主観的な訴えは、客観的検査で見逃されるのか?
1. 検査が「静かで単純」すぎる
- 客観的検査(例:電話式の認知テスト)は、
🔹静かな場所で
🔹短時間で
🔹単一タスクを
行うよう設計されている。 - でも現実の生活では、
🔸周囲がうるさい
🔸注意を切り替える必要がある
🔸長時間がんばらなきゃいけない
といった複雑な負荷がかかる。
→ 現実の困難を模倣できていない。
2. 「脳の疲れやすさ」は点数に出にくい
- テストは通常、数分〜数十分で終了する。
- しかし、「1日を通してだんだん脳が働かなくなる」といった訴えは、検査中には出てこない。
→ 持続的な脳の疲労感は評価されない。
3. “やれるけど、しんどい”は測れない
- 検査では「できたか/できなかったか」しか見ていない。
- 本人は「できたけどすごく疲れた」「このぐらいのことでヘトヘトになる」と感じている。
→ テストでは問題なし。でも現実ではつらい。
4. 感情やストレスの影響が無視されがち
- 不安、うつ、PTSDなどがあると、集中力や意欲に大きな影響が出る。
- しかし客観検査は、その日の気分や心理的負担を考慮しない。
→ 心理的要因と認知の“相互作用”が無視される。
5. 本人の自己モニタリング能力にも左右される
- 「困ってる」と感じるのは、自分の中の変化に敏感な人。
- 逆に、自己認識が鈍っている人は「困ってること」に気づかないこともある。
→ そもそもテストと主観の世界はズレている。
🔚まとめ(たとえで言うなら…)
🔍客観的検査は「冷蔵庫が動くか」を見るようなもの。
🧠主観的訴えは「冷蔵庫がうるさい・電気代が高い」といった生活実感。
どちらも「正しい」けれど、見る角度が違う。
だから、両方を合わせて見ないと真の問題はつかめないのである。
