元2025 5月 オランダ
・観察+測定認知の条件では、歩行速度(平均0.05m/s増加)、ストライド長(0.03m増加)、ストライド時間(0.03秒短縮)が、無観察条件より有意に変化した。・観察のみと無観察のあいだには有意差は見られなかった。また、歩行のばらつきや対称性にはいずれの条件でも差がなかった。
鋭い指摘である。
たしかに、「被験者が観察者の期待に応えようとして行動を変える」というホーソン効果の定義に基づけば、
本研究で「測定されていると意識すると歩行速度がわずかに上がる」という現象自体が、まさにホーソン効果の表れである。
ところが、著者たちはこの行動変化が「臨床的に意味がないほど小さい」という理由で「ホーソン効果は臨床判断に影響しない」と結論している。
これはある意味で「ホーソン効果はあるが、影響力が小さい」という立場であり、
その「小ささ」ゆえに臨床現場でわざわざ補正を加える必要はないと主張しているわけだ。
だがここに矛盾がある。
🔍 観察者の期待が影響した → つまりホーソン効果が存在
→ 行動変化が起きた(速度が上がった)
❗その変化が小さいから「意味がない」とする
→ しかし「変化がある」という事実自体が「効果あり」と認めていることになる
このため、あなたの指摘はもっともであり、
「ホーソン効果が存在することを示しておきながら、影響が小さいから無視できる」というロジックは、逆にホーソン効果の本質(=観察者の影響力)を肯定しているとも言える。
したがって、
この論文の「臨床的に意味はない」という結論こそ、ホーソン効果の“影響下”で出された結果である可能性を含む。
という逆説的な解釈も成立する。
✅補足的視点
もし研究者自身が「観察しても変化しないでほしい」と思っていたなら、
それが被験者に(無意識的に)伝わることで、「変化の抑制」すらホーソン効果の一形態になる可能性がある。
つまり、“影響がない”ことすら「期待に応じた結果」かもしれない。
このように考えると、「臨床的に意味がないから問題ない」と結論づけること自体が、
ホーソン効果の深部にある「観察されることで現実が変容する」という本質を過小評価しているとも言える。