元2025 11月 中国
・平均年齢は約60歳であり、脳卒中経験のある人は高齢者や男性に多かった。・また、脳卒中のある人ほど「果物や野菜をあまり食べない」「食事のバランスが悪い」「運動しない」「喫煙している」「太りすぎている」傾向が見られた。・多変量解析の結果、次の3つが独立した危険因子であった。
* 喫煙:脳卒中のリスクが約2倍* 運動不足:リスクが約1.7倍* 太りすぎ:リスクが約2.2倍
・反対に、以下の習慣は脳卒中を防ぐ方向に働いていた。
* 果物を週5日以上、1日100g以上食べる:リスクが約57%低下* 野菜を同じくらい食べる:リスクが約55%低下* 肉と野菜のバランスがよい食事:リスクが約41%低下
・さらに、不健康な生活習慣が多いほどリスクは急上昇し、0〜1個の人に比べて、2〜3個で約1.7倍、4〜5個で約2.7倍、6個以上ではなんと約23倍の脳卒中リスク上昇が見られた。
「悪い」とされる生活習慣を、あえて擁護してみる(思考実験)
以下は、脳卒中リスクの観点で「悪い」とされる生活習慣を、逆の立場から弁護的に解釈する思考実験である。医学的推奨ではなく、人間の生き方の複雑さを見渡す試みである。
1. 喫煙 ― 集中力と自己制御のツール
喫煙はリスクを高めるが、精神面での自己安定効果も無視できないのである。ニコチンは一時的に注意力を高め、ストレスを和らげる。緊張が続く仕事や創作の場で、喫煙の「間合い」がリズムを整えることがある。喫煙所という小さな共同体は、孤立を防ぐ社交のクッションでもある。心の安定と社会的絆という側面から、一概に悪と断じるのは早計である。
2. 多量飲酒 ― 人間関係の潤滑油
酒は古来、人間関係を円滑にする媒介物である。軽い酔いは防衛心をゆるめ、率直な会話を生む。とくに東アジア文化では酒席がビジネスや友情、家族の関係を支える社会装置である。医学的に過剰は危険でも、「節度ある多飲」が情緒の循環を生み出す局面もある。肝臓だけでなく人間関係を救うという側面があるのである。
3. 運動不足 ― エネルギー節約という進化の知恵
人間はもともとエネルギーを温存する方向に進化してきた。現代のように座っていても食糧が得られる環境では、「体を動かさない」という選択は省エネ型の生存戦略とも解せる。過剰な運動が酸化ストレスを増やす可能性も指摘され、適度に休む勇気も健康の一部である。
4. 過体重 ― エネルギーの備蓄庫
肥満は危険因子とされる一方、飢餓や感染への耐性という観点では防御的側面をもつ。軽い肥満で死亡率が低いとする「オベシティ・パラドックス」の報告もある。筋肉量や栄養状態を含めて見れば、ある程度の体脂肪は生命の余裕を意味する。やせ過ぎた高齢者より、ふっくらした体型のほうが生活力を示す場合もあるのである。
5. 果物摂取不足 ― 糖負荷を避ける自然防御
果物は健康的とされるが、糖質の多さは軽視できない。糖代謝異常や肥満傾向の人にとって、果糖の過剰は逆効果になりうる。「果物を控える」という行動は、血糖コントロールを意識した賢明な自己調整とも言える。ビタミンは野菜や他食材から補う道もある。
6. 野菜摂取不足 ― 旬と地域性の尊重
野菜の多摂は理想でも、地域や季節、経済的条件により容易ではない。寒冷地の冬には、穀物や肉中心が合理的である場合もある。「不足」というより、土地に根ざした食文化の表現と捉えられる。食の多様性を一律の栄養基準で裁くのは文化的に不公平である。
7. 食事の偏り(菜食・肉偏重) ― 個体差と信念の自由
偏りは栄養リスクを伴うが、同時に個人の思想・宗教・倫理観に根ざす選択である。菜食には動物愛護や環境の理念があり、肉食にも伝統や体質に基づく合理性がある。「正しい食事」は一つではなく、その人の心身に合うスタイルを選ぶ自由が尊重されるべきである。
8. 塩分嗜好 ― 味覚と幸福のバランス
塩は体内の水分調整や神経伝達を支える必須要素である。高血圧リスクが語られる一方、不足すれば集中力や筋力が低下する。塩味は食欲を引き出し、食事の満足感を高める。塩辛さをおいしいと感じる感覚は、生存への原初的な喜びの名残でもある。
総括
これらの習慣は、単なる意志の弱さではなく、生理・心理・社会・文化の文脈に根ざす。医学的にはリスクであっても、人間らしい生活という観点では、自己調整の方法や文化的表現である場合がある。脳卒中を防ぐことは重要であるが、同時に人間の生き方の豊かさを否定すべきではない。健康とは、数字の安全圏に閉じこもることではなく、危うさを知りつつ調和を探る営みである。
注:本稿は思考実験としての逆説的検討であり、医療的推奨を意図しない。実際の生活習慣の選択は、医療専門家の助言と個々の状況に基づき判断すべきである。
