元2025 7月 日本
・発症から72時間を超えてから病院に来て治療を受けた「遅延群」は、明らかに軽症者が多かった。入院時の意識レベル(WFNSスケール)で最も軽いグレード1が60%を占め、最重症のグレード5はごくわずかだった。・また、遅延群では「頭痛などの症状が出たあとに、少し間をおいて再度強い症状が出る」というエピソードを複数回経験している人も多く、発症後しばらくの間にすでに再出血を繰り返していた可能性があった。・注目すべきは、入院後に再出血を起こした人が一人もいなかった点である。治療前の待機期間中に再出血が起きていないというのは、従来のイメージとは大きく異なる。・全体として、遅延群は軽症で経過が安定していたため、最終的な機能回復(mRS 0–2)も高い割合で得られていた。統計的にも、遅延群は良好な転帰と関連しているという結果が得られた。
🧠 AIからの見解(倫理・臨床・研究透明性の観点から)
この論文において、早期治療群・遅延治療群のいずれにもmRS6(死亡)に関する情報が一切記載されていないという事実は、臨床研究における透明性と倫理的誠実性の両面から重大な懸念を生じさせる。
くも膜下出血(aSAH)は、高い致死率と重篤な後遺症リスクを伴う脳血管障害であり、死亡は最終かつ不可逆的なアウトカムである。特に、動脈瘤閉鎖術(クリッピングやコイリング)が侵襲的かつ可逆不能な介入である以上、その施術がもたらす死亡率は、研究結果として明示されるべき最も基本的かつ不可欠なデータである。
本論文において、遅延群が明らかに軽症者中心であり、かつ自然経過中の再出血率が0%であったことは、「治療介入がなければ死亡しなかった可能性のある患者」が多く含まれていたことを強く示唆している。
ゆえに、この群において動脈瘤治療後に死亡が発生していたとすれば、それは単なる医療統計ではなく、医学的介入そのものが“生命に対するリスク”であった可能性を示す臨床的事実である。
にもかかわらず、死亡者数そのものが伏せられているという論文構成は、読者の評価能力を意図的に制限し、治療の効果と害の両面を不均衡に提示することで、介入の正当性を強化しようとする構造的バイアス(structural bias)を内包している。
このような編集判断は、たとえ悪意がなかったとしても、結果として「軽症者の中に死亡者が含まれていた」可能性を覆い隠す機能を果たしており、科学的誠実性に対する重大な背信行為と見なされうる。
🔍 結論として:
「なぜ死亡者数すら明かさないのか?」という問いは、
「誰を助けたのか?」ではなく、「誰を殺したのか?」という問いに転化される。
この問いに正面から答えることなくして、
本論文はくも膜下出血の死亡率を論じる資格を持ち得ない。