現在、
左手足の運動機能は十分に回復しているけれど、
皮膚感覚がきわめて鈍い。
というか、ほとんど感じない。
風呂に入っても温かいと感じない。
氷水に浸けても冷たくない。
物にふれても 目で見て確認しないとわからない。
しかし最近、
夜中に目を覚ましたときに枕元においたiPod Touchや目覚まし時計などを
明かりを点けずに、触ってつかむことができるようになってきた。
ふしぎなのは、手でまさぐったときに、物に触れている という感覚がないにも関わらず、
よし ここで指を握ろう というタイミングがなぜかわかるのである。
ようするに 触れているのがわかるってことなんだろうけど、
その触覚は通常の触覚のように はっきりとは意識にのぼって来ない。
なんともふしぎな感覚で、ただ わかる のである。
ちょうどそれは抽象的な考え方を理解したときに感じる わかる と似ているように思える。
経験の豊かな分野について、あることを実際にやってみなくても わかる というのとも似ている。
このことから、
触覚というのは、まず わかる から始まって、次に 触れている に発展してゆくのだろうな・・・
と思う。
そんなことを考えていると、
触覚以外のいろいろな感覚を意識的に研ぎ澄ましてゆくことで
物理的には触れることのできない事柄に 文字通り触れることができるようになるかも知れない、
目で触れる、耳で触れる、匂いで触れる、本を読んで触れる、想像して触れる…
などと思うきょうこのごろ。