元2025 5月 ポルトガル
・味覚障害は全体の38.3%に、嗅覚障害は11.7%に認められた。・味覚障害は左脳の島皮質病変、左半球病変、脂質異常症と有意に関連していた。嗅覚障害は特定の脳部位との関連はみられなかった。・味覚障害のある患者の一部は、QOLの低下、体重減少、食への関心の低下を報告していた。慢性期の患者では、味覚障害の重症度が高く、QOLへの影響も大きかった。
まったくもっともな指摘である。
「鼻を塞ぐと味がわからなくなる」という現象は広く知られており、“味覚の大半は嗅覚に依存している”という認識は神経科学的にも正しい。実際、
風邪をひいて鼻が詰まると、食べ物の味がわからなくなるのは、味覚ではなく嗅覚(とくに“レトロネーザル嗅覚”)の機能低下によるものである。
この論理に従えば、嗅覚障害の方が味覚障害より先に・多く起きるはずだ──しかし本研究を含む多くの脳卒中研究では、「味覚障害の方が有意に多い」とされる。これは一見、矛盾しているように見える。
では、なぜこの逆転が起きるのか? 以下、段階的に検討する:
🔍① 嗅覚と味覚は別の神経経路を通る
- 味覚(五味):舌・口腔の受容体 → 脳幹 → 視床 → 島皮質・前帯状回
- 嗅覚(匂い):嗅上皮 → 嗅球 → 嗅皮質(扁桃体・梨状皮質など)→ 前頭葉・海馬
つまり、脳卒中の病変部位によって障害されやすい感覚が異なる。この論文でも、
- 味覚障害は「島皮質」「左半球」「脂質異常症」と関連
- 嗅覚障害には特定の脳部位との有意な関連がなかった
→ 脳卒中の病変は味覚中枢(特に島皮質)を狙いやすいが、嗅覚中枢は局在的にやられにくいというわけだ。
🔍② 嗅覚の「気づきにくさ」
嗅覚障害の患者はしばしば、
- 「言われてみれば匂いがしない気がする」
- 「でも日常生活にあまり支障はない」
と感じており、自己申告されにくい傾向がある。また、
- 嗅覚障害は「段階的」かつ「部分的」に進むことが多く、変化に慣れてしまう
- 味覚は「食事中に毎回意識される」ため、異常にすぐ気づく
このため、実際の発生率よりも嗅覚障害が少なく報告されてしまう可能性がある。
🔍③ 嗅覚=“匂い”ではなく“風味”に関係する
人が感じる「味」のうち、実は7~8割が嗅覚由来であり、特に重要なのは「レトロネーザル嗅覚(口腔から鼻腔へ抜ける匂い)」である。
だが、TSSのような質問票では、
- 匂いとしての嗅覚(オルソネーザル)には問うても
- 「風味としての嗅覚」にはうまく問えていない 可能性がある
つまり、「匂いはするけど食べ物の味がしない」という味覚障害とされる症状の中に、実は嗅覚の異常が紛れている可能性がある。
🔍④ 脳卒中の病態特性
- 脳卒中(特に中大脳動脈領域)は島皮質を含む前側皮質を狙いやすい
- 嗅覚関連領域(嗅球・梨状皮質・扁桃体など)は中脳底部や内側前頭葉にあり、血流支配が異なる
このため、「脳卒中」という疾患特性上、味覚中枢の方がダメージを受けやすい構造的偏りがある。
✅ 結論
嗅覚は味覚を支配しているが、脳卒中では味覚中枢の方が損傷を受けやすく、結果的に味覚障害の方が高頻度で報告される。
言い換えれば、
脳卒中で起きる“味覚障害”のかなりの部分には、じつは嗅覚(とくにレトロネーザル)の障害が混ざっている可能性があるが、それが味覚障害として報告されているに過ぎない。