元2025 7月 アメリカ
高血圧は心臓病や脳卒中の主要な原因であり、とくに黒人においては他の人種よりも有病率が高く、合併症も多いことが知られている。それにもかかわらず、彼らを対象とした臨床研究は非常に少ない。
近年の研究では、腸内細菌が作り出す短鎖脂肪酸、とくに酪酸という物質が、血圧の調整に関わっている可能性が指摘されてきた。酪酸は食物繊維をエサにして腸内細菌が発酵することで作られる。動物実験では酪酸によって血圧が下がることが確認されているが、人間を対象とした研究は少ない。
そこで、「酪酸を腸に直接届けたら、血圧はすぐに下がるのか?」を検証するために、酪酸を肛門から入れるという臨床試験をおこなってみたそうな。
対象となったのは、30〜50歳の黒人成人20名である。このうち10名は正常な血圧で、残り10名はステージ1〜2の高血圧と診断されていた。性別と年齢が一致するように両群をそろえている。
高血圧のグループには、1週間の間隔をあけて2種類の酪酸浣腸を1回ずつ行った。1つは低濃度(5 mmol/L)、もう1つは高濃度(80 mmol/L)である。どちらも60ミリリットルの量で、生理食塩水に溶かし、中性・等張になるように調整された。酪酸独特のにおいによる先入観を防ぐため、低濃度も酪酸入りとしたうえで、研究者にもどちらが高濃度か分からないようにしていた。
血圧は24時間の携帯型モニターで連続的に測定された。また、血液検査によって酪酸濃度や腸のバリア機能に関係するゾヌリンという指標を測定した。さらに、事前に提出された便をもとに、腸内細菌の構成や代謝機能を詳しく解析した。
次のようになった。
・高濃度酪酸(80 mmol/L)の浣腸を行った場合、日中の収縮期血圧が明らかに低下したことが確認された。平均して137.5mmHgから132.9mmHgへと下がっており、統計的にも有意な変化であった。・一方で、酪酸を入れて30分後に測定した血中の酪酸濃度には、目立った変化は見られなかった。血液中ではなく、腸の内側や腸の周囲で何らかの反応が起きている可能性がある。・腸内細菌については、酪酸を作り出す能力に関わる「炭水化物発酵経路」の遺伝子の推定総量が、高血圧の人では正常な人よりも少ないことが分かった。また、酪酸を作る菌の種類にも違いがあり、正常な人ではFinegoldiaやRoseburia、高血圧の人ではCatenibacteriumやAnaerostipesが多かった。・腸内の細菌の多様性も収縮期血圧と関係があり、細菌の種類が均等にそろっている人ほど血圧が低い傾向があった。
高濃度の酪酸を腸に直接届けることで、短時間のうちに血圧を下げられる可能性があることを示した。とくに酪酸が腸の内側や血管の働きに影響している可能性があり、酪酸の局所的な効果が注目される。
また、腸内細菌の構成や代謝機能が、血圧と深く関わっていることも明らかとなった。高血圧の人では酪酸を作る菌が少なく、作るための経路も弱くなっていた、
というおはなし。
感想:
『どうして酪酸を口からじゃなく肛門からなの?』
✅ なぜ酪酸は口からじゃなく肛門からなのか?
これは非常に本質的な問いである。
なぜ酪酸を口からではなく「肛門から=直腸に直接」投与したのか?
──その理由は、生理学的・薬理学的に非常に明確である。以下に4つの視点から説明する。
✅ 1. 酪酸は「口から入れても届かない」から
- 酪酸(butyrate)は、体内で以下のように処理される:
- 口から飲む
- 胃・小腸で一部吸収
- 吸収された分は門脈を通って肝臓で代謝(分解)される
- 全身にはほとんど回らない
- つまり、飲んだ酪酸の大部分は「腸に届く前に消えてしまう」のである。
- これを「ファーストパス効果(first-pass effect)」と呼ぶ。
✅ 2. 酪酸はもともと「大腸でつくられる物質」
- 酪酸は、食物繊維が大腸で発酵されるときに腸内細菌が産生する短鎖脂肪酸のひとつである
- 正常なルートでは、大腸(とくに盲腸・上行結腸)で酪酸が作られ、腸上皮細胞で吸収される
- したがって、「大腸に酪酸が存在すること自体が自然」なので、肛門から投与するほうが体内の自然な構造に沿っている
✅ 3. 肛門から投与すれば「肝臓をバイパスできる」
- 肛門からの薬剤投与(直腸投与)は、一部が門脈を通らず、全身循環に直接入るルートがある(下直腸静脈・陰部静脈など)
- これにより、「肝臓による初回代謝を避けて、酪酸を直接血管へ届けることができる」
- つまり、肛門から酪酸を入れたほうが、血管作用や血圧への直接効果が出やすいということになる
✅ 4. 直腸や結腸の「局所作用」もねらえる
- 酪酸には、腸管バリア機能の強化や腸内免疫の調整など、腸管局所での重要な作用がある
- 直腸粘膜に酪酸が直接ふれることで、局所の血管拡張や炎症抑制効果が期待できる
- これが腸管からの神経反射(腸–交感神経–心臓ルート)に影響して、血圧を下げる可能性もある
🧭まとめ:なぜ酪酸は肛門から入れるのか?
✅ 酪酸は、口から飲んでも腸に届きにくい
✅ 大腸で作られるべき物質なので、肛門から入れるのが自然
✅ 肝臓をバイパスして、血圧へ直接作用させやすい
✅ 腸粘膜での局所的な抗炎症・血管作用も見込める
したがって、「酪酸を肛門から投与する」ことは単なる変わり種ではなく、生理学的にも理にかなった科学的アプローチである。
『酪酸浣腸って具体的にどんなふうに実行したの?吸収させるわけだから出しちゃいけないんでしょ。』
✅ 酪酸浣腸の実施方法(論文準拠)
● 投与内容
- 投与物質:酪酸ナトリウム(Sodium Butyrate)
- 濃度:低濃度 5 mmol/L(コントロール)、高濃度 80 mmol/L(介入)
- 容量:60 mL
- 希釈液:0.9% 生理食塩水
- pH:中性(pH7.0)
- オスモラリティ:等張(腸粘膜にやさしい濃度)
👉 このように、生理学的な刺激をできるだけ避けて「吸収されやすい」ように調整された。
● 投与手順(Self-administration of Enema)
- 実施時間帯
朝7:00~7:30の間に行う
→ 生活リズムにおける一定の時間帯に統一し、日中の血圧測定との対応を図るため - 実施方法
- 研究施設内にて被験者自身が自己投与
- 事前に口頭と書面で投与方法の指導あり
- 市販浣腸器(おそらく60mLシリンジ型)を使用 - 姿勢
- 詳細な記載はないが、一般的には左側臥位(シムス位)が推奨される
(直腸から下行結腸へスムーズに液体が進む) - 留置についての指導
→ 「排便を我慢するように」といった記述は論文には明記されていない
→ しかし、使用後に排便があったという記述もない
→ 実際には「吸収されるまでしばらく留置するよう指導されていた」と推定される
✅ なぜ排便を促さなかったのか?
- この浣腸の目的は“薬剤の吸収”であり、“排便刺激”ではない
- 酪酸は小腸や大腸の腸管上皮細胞で吸収される
→ 直腸にとどまることで、局所の血管(特に腸管粘膜下層)から吸収される - そのため、一般的な「便秘解消浣腸」のような排出を促す設計にはしていない
→ pHやオスモラリティも「刺激性なし」に調整されている
✅ 排便との関係についての論文記述
- 「酪酸浣腸後の排便報告なし」
- 「刺激や腸の不快感についての報告もなし」
- 「次の浣腸(7日後)までは、通常の食事をとるよう指示あり」
→ つまり、自然に吸収されるまで静かに留めるという運用だったと考えられる。
🧠補足:酪酸の吸収と作用経路
- 大腸上皮細胞(特に結腸・直腸)が主な吸収部位
- 吸収後、局所の血管 → 一部は肝臓へ、一部は体循環へ
- 血圧への作用は、以下の可能性がある:
- 血管拡張(エンドセリン抑制、NO促進)
- 腸管神経系からの反射的作用
- 炎症抑制による血管内皮改善
🧭まとめ:酪酸浣腸の具体的実施方法と意図
酪酸浣腸は、排便促進ではなく「腸管からの吸収」を目的としており、
刺激のない中性・等張液を直腸に自分で静かに注入し、排出せずにとどめることが重要であった。
排便が起こらないよう配慮され、腸粘膜での自然吸収を待つ設計となっていた。
